文化講座

第22回「15歳からの陶芸」 河本賢治 氏

2015-05-15

窯は⽕を吹く⿓の如き⽣き物に変わり、⾄宝を産み出す。

[陶芸家]河本 賢治 氏

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 平成27年5月15日午後6時30分からサルーテで、第22回『楽しく真剣!「サルーテ文化講座」』が開催されました。司会の角秋勝治氏の講師紹介を経て、陶芸家・河本賢治氏の講演がスタート。出足は、中学校時代の作品から。陶芸家を目指した馴れ初め等、講演と映像を織り交ぜながら、多くの聴講者の前で、熱く・にこやかにお話をされました。参加者は72名。

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講師の河本 賢治 氏

 今まで人前で話すようなことはありませんでしたが、今年還暦ということでもあり、初の挑戦で演台の前に立ちました。
 幼い頃は友達と川遊び。魚を獲る道具を作っていた。振り返れば、その頃から物作りが好きだったのかもしれない。小学生の頃初めて粘土で埴輪を作りました。
 中学校に入学。学校に登り窯があり、陶芸クラブに入り、焼き物の世界に嵌まりました。
 丹波に工房を構えていた、鳥取県・北条町出身の生田和孝先生が内弟子を探していたので、昭和45年に弟子入りを決めました。浦富窯の故山下碩夫氏は私の兄弟子となります。
 弟子入りし、1年半が経つと物が形になって焼けるようになりました。生田師匠の教えは、手を出すことなく言葉で教える事のみ。モノづくりは自分の手でする、ということが原則でした。
 弟子入りして2年経過、窯出しをしたときに作る喜びを感じた。生田師匠には子供がいなかったこともあり、わが子のようにとても可愛がって、よく美術館に連れて行ってもらい、物に対する美意識を学ぶことができました。

 弟子入り5年で素焼きを任され、翌年の1976年には、窯焚きを任されるようになりました。窯というものは、火を入れると命が宿る。一回一回変化があり生き物の様な物。その都度楽しみがありますが、その窯の癖を知ることが一番大切です。
 昭和55年(1980年)に倉吉に帰郷後、「倒炎式(とうえんしき)登り窯」を築き「福光窯(ふくみつがま)」と命名しました。生田師匠の長所・特徴を生かし、自分らしさが出せるよう努めましたが、4・5年は丹波の修業時代から抜ける事が出来ないまま作品を作っていました。兎に角、毎日作ることが大切です。数をこなし、日々取り組んでいくことで新しい何かが見えてきます。
 現在まで、私は作品を作る時は電動轆轤ではなく、蹴り轆轤(けりろくろ:足で動かす轆轤)を使用します。理由は、自分のリズムで轆轤を動かすことができるからです。修業時代には1日200個の湯吞みを作ったこともありました。
 蓋物作成は、私のテーマです。木工家の黒田辰秋先生の作品展に行き、朱漆茶器に惹かれ、作成に目覚めました。蓋物は上下を別々に作るので難しいですが、それなりに面白味があります。
 轆轤で成形し、素焼きをし、彩薬をかけ、天日乾燥します、作品を焼成する時、作品が湿気を嫌いますので充分乾燥させる必要があります。又、窯も湿気を嫌いますので、“素焼き”、“空焚き”、“炙り焚き”、“本焼き”と4回火を入れます。
 私の窯は、一回に800~1000点焼くことが出来ます。30年で102回窯出しをしました。窯に火が入りますと、火を吹く龍の如く、生き物に変わり一回焼くのに割り木300束から350束を食べつくします。
灰は一回300束から350束燃やしても焚き口でバケツ一杯も取れませんが、彩薬として使います。薪割りは、昨年亡くなった親父が割ってくれていました。
 陶器は窯がへたる頃、陶芸家が想い描く作品にほぼ近いものが出来上がります。窯のどの場所にどの様な陶器を置くのか、陶器にかけた釉薬の特性等のことを考えながら、過去の窯出しの実績を勘案して配置します。
近年は、あらゆるものが便利になりましたが、陶芸に関しては、原料などの調達が困難となり、不便になってきています。作品は、いつも新作でなければならない。希望と喜びを与えてくれる子供のようなものです。
 生田師匠に習った10年、自身の窯を持ってからの35年はあっという間でした。本日お話した思い出とともに仕事をしています。息子が陶芸をやり始めたので自分の技術を息子に伝えて、私は自由な創作を行ってみたい。これから私の作品がどの様に羽ばたいていくのか、私自身も楽しみにしています。
■倒炎式窯(とうえんしきがま)
土器,陶磁器を焼成する窯の一種。火が部屋の床部の下から入り、壁に沿って上昇し、天井にぶつかり、また下降して、下から穴を抜けて次の部屋へと移っていく式の窯。直炎式窯に比して火度が一定する利点がある。

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     「灰釉鉢」1991年            「⿊化粧丸紋円」2002年            「藁釉筒描⽫」2012年

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これが中学1年のときに作成した器です。中学校に窯があり、運命の⽷に依り60歳まで頑張ってきた。

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「2010年窯を新しくしました。発窯は焼過ぎとなり、半分は駄⽬、でもこれいいなと云う作品もありました。

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窯というものは⽕を⼊れると命が宿る、⼀回⼀回変化があり、⽣き物のような物です。だから楽しいのです。


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私は古代の物、須恵器や弥⽣⼟器が⼤好きです。これから私の作品はどの様に⾶んで⾏くのでしょう。

■河本 賢治 氏のプロフィール

  • 1955年、倉吉市福光に生まれる。70年、北栄町出身で丹波の陶工・生田和孝(1927-1982)に師事。
  • 1976年、国画会展に初入選。以後、同展を中心に活躍。
  • 1980年に帰郷。「倒炎式登り窯」を築き「福光窯」と命名。
  • 1987年、国画会展「前田賞」を受賞。
  • 1995年から、大阪の阪急百貨店で個展。
  • 1999年、国画会会友に推挙。
  • 2002年から、広島の福屋で個展。06年、鳥取県伝統工芸士認定。
  • 2009年、国画会準会員に推挙。
  • 道路拡幅のため工房を移築。
  • 鳥取工芸の会のグループ展に出品、ギャラリーあんどうで個展。

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